2006年11月27日

平安であること

この1ヶ月の間に、私は10年ぶりの快挙を成し遂げました!
そんなに大げさなことでもないんですけどね。。。

なんと、車の運転ができるようになったのです!
免許は持っていましたが、10年のゴールドカードペーパードライバーでしたから。
車線変更も何とかできるようになってきたし、駐車はいまだに苦手ですが、
一応、行きたいところに行ける、と思います。

できなかったことができるようになるって、不思議な感覚です。
できるようになったら、ナゼできなかったんだろう?って思ってしまいます。
結局、チャンスの有無と、勇気の有無かもしれません。
この二つとも、神様が与えてくれることだよなぁ。神様に感謝♪

昨日の礼拝メッセージで、神様は私たちがどんな状況でも平安であることを
願っておられる、と聞きました。

平安ってどんなものかといろいろ思い巡らしてみたんですが、
ただ、何の物音もしないシーンとした空間じゃないような気がするんですよね。
無の世界、ではないと思うんです。
川のせせらぎや、穏やかな波の音、そよ風に揺れる葉っぱや
遠くに聞こえる子どもの声。
小さい揺れの音。激しい音や大きな動きではない、小さな動きの世界。
私はそれが平安な様子ではないかと思います。
少し落ち込んだり、少しうれしいことがあったり。
もし、私の思いえがく「平安」が神様の御心ならうれしいな。
と自分勝手に思います。
誰もが注目するような大きな喜びや悲しみだけが、神様の喜びではなく、
自分にしかわからないような、小さな出来事も神様が一緒に喜んだり、
悲しんでくださる。
そう思えると平安でいられるような気がします。

ニックネーム たかまま at 11:45| Comment(12) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月15日

灯り

今週の日曜日。
神様は確かにわたしに語りかけてくださいました。
礼拝メッセージやいろんな人を通して。
夜の礼拝でピアノの奉仕があったけど、息子がめずらしく熱を出し、
家と教会を2往復した、忙しい1日でしたが
なんだかすべてが感謝できた1日でした。

わたしは自分がこんなに空っぽで、どちらかといえばマイナス傾向なのに
なぜか、神様が私のつたないピアノを用い、満たしてくださっているのを
この2,3ヶ月感じています。
礼拝に出席している方の中でも、
私のピアノを気に入ってくださっている人もいたりして、
私にはとても意外なんです。こんな状態の私のピアノが?
信仰的にも神様から離れている気がしているのに、
それでも神様は私を通して働かれている。
それを感じてしまっているんです。
今週もそうでした。
今週はピアノを弾きながら、胸が張り裂けそうなくらい、
頭が真っ白になって楽譜が見えないくらい、
指が動かなくなるのでは、というところでした。

神様は私の心の状態や、問題などは
おかまいなしに働いてくださり、愛してくださっているんだ。
しかもそれは、じつはずっと昔から、神様が離れているように感じていたときも、
かみさまはずっと私に働きかけていてくれたんだ。
礼拝メッセージを通して、それがやっとわかりました。

ラザロが病気と聞いてから、2日間じっとしておられたイエスさま。
その間、イエスさまは何を思っていた?ラザロのことを思っていたに決まってます。
イエスさまは愛で満ち、喜ぶものとともに喜び、泣く者と共に泣いてくださるのです。

イエスさまが実はいつも、むかしからずっと一緒だったとすると、
過去にあったどんなつらい場面も、やっと思い起こせるような気がするんです。
あの時どう思い、わたしはどう変わってしまったのか。
そしたら昔の思いや傷も癒されるのでは?
という希望をやっと見つけれたのです。
まだ確信にはいたっていませんが、ほんのり灯りが見え出したのです。

主に感謝します。
ニックネーム たかまま at 10:14| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月09日

ひとあし。

素直に感じるままに文章を書くって以外に難しいものです。
ブログを書かなくちゃ、と思ってからも、一週間くらい書けませんでした。
カウンセリングの本なんかによく書いてあるんですが、
自分の思っていること、感じていることを、ノートに書き始めたら、
予想外に頭がすっきりしてきて、やっぱりカウンセリングの先生はスゴイと思いました。
そのノートに書くまでが2週間くらいかかりましたから。

どうやらじぶんと素直に向き合ってこなかったので、
じぶんが何を思ってるか、文字に現れるのが怖かったんだろうと思います。
いまも、正直こわいです。
でも、せっかくだから、勇気のいるほうを選択してみました。
今の状況を変えたいのはほんとうのじぶんだからです。

今朝、何ヶ月かぶりに自宅で聖書をみずから開きました。
創世記から読み始めたというわけではなく、
これもまた、やっと真剣に読む気になった本の中の御言葉が読みたいと思ったから。
その本は、リック・ウォレン先生の「人生を導く5つの目的」です。

ほんとうにしんどいときはこんな名著でも読めないものですね。
でもやっと真剣に読もうと思いました。

それは、昨日の夜に久しぶりに神様の導きを感じたからです。
つまらないことなんですが、
息子の足の裏にたまたま木のトゲが刺さり、
しかもトゲの半分が取れずに残ってしまったのです。
息子は暴れて泣き叫び、発狂状態。
主人がいれば、押さえつけてでも取ったのに主人も不在。
仕方なく病院へ行って抜いてもらうと、
「今日は運動も入浴もやめてください」といわれ、
水曜なのにサッカーに行けない、としたら水曜礼拝に行くべき?
と悩んだら、そういえばペルーの宣教師のメッセージだった!
主人にも誘われたので、行ってみることにした。
そしたら、その宣教師の先生のメッセージが、やっぱりよかった。
というわけです。

世界宣教についてのメッセージだったので、もちろんそれにも感動したけど、
わたしが、すごい。と思ったのは、インパクトのある先生にもかかわらず、
とっても謙虚で、すべてが神様の導きで宣教師になった、
ということがよくわかったんです。
いつも言われてることなんだけど、
教会に来るのは、実は神様の導きだってことが、久しぶりに実感できたし、
神様とわたしたちの関係ってもっとシンプルなんだ、と思えたんです。
うまくいえないんですが。

とにかく、もう一度聖書に戻れたことが素直にうれしいのです。
頭がどんな状態になっても、
私は神様の導きのままに生きていきたいだけなのに!
って思っていたのに、それでもなぜか聖書を開くことはできなかった。
むずかしいわ。ほんとに。
でも少しずつ、すこしずつ、ひとあし、ひとあし。

そういえば水曜礼拝のメッセージ中、
トイレができるようになった息子に何回もトイレに連れて行かされ、
トイレ三昧の礼拝でもありました・・・・
成長して感謝だけど、まだまだ子どもに振り回されて、
一瞬、「今日も何しに教会に来たんだろう?」と思っていたけど、
帰るころには、なんだか心が軽くなっているし、きてよかった、と思えました。

ニックネーム たかまま at 07:38| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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